「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダー 林田光弘さん講演要旨

【講演要旨】

 歴史と対話し、未来を見つめる

        被爆三世・24歳 林田光弘さんに聴く

「ヒバクシャ国際署名」キャンペーンリーダーの林田光弘さん

 

 

   中学3年から署名運動に

 1992年に長崎市浦上で生まれた被爆三世、24歳の私の人生の転換点からお話しします。

 長崎の小中学校では、8月9日は全校登校日です。被爆者の話しを聞く、被災地をフィードバックする、壁新聞をつくる等、一年を通じて原爆について勉強しています。日常的に原爆のこと、被爆者のことを考えるのが当たり前になっています。

 長崎の高校生一万人署名の世話人をされていた小学校の担任を介して、私は中学3年からこの運動に参加しました。子どもにとって「社会」は学校か家でしたが、高校生一万署名に参加したことで「社会」が大きく広がりました。とくに県外の高校生との交流により、他府県の高校生が原爆について殆ど知らないことが分かり、長崎生まれの僕たちが原爆や放射線被害につき、キチンと伝えていく責任を感じました。

「核抑止」は「核の槍」

 その頃は北朝鮮が核実験を度々行っており、「核抑止論」がはやった時です。他府県の高校生たちに「核抑止論」について十分に反論できなかった悔しさもあり、その後核兵器について一生懸命勉強するようになりました。「核抑止論」は、「核の傘」ではなく「核の槍」であり、いざという時、核兵器を使用するということが前提になっています。

 私は高校生平和大使として2009年にスイス・ジュネーブを訪問、2010年に国連・NPT再検討会議で国際交流の機会があり、海外に友人ができたことも大きな転換点です。核の被害、特に放射線被害は日本国内ではよく知られていますが、海外では被爆者の結婚差別や就職差別などについて全然知られていません。このような社会的被害を含めて放射線の恐ろしさが伝わっていないことを痛感し、核の問題をしっかり学ぼうと2011年、明治学院大学に入学しました。

 2011年3月11日、東北大震災・福島原発事故が発生し、僕たちの世代は「ポスト3・11」と云われています。

 NPTの三本柱の一つが「核の平和利用」であり、原発容認の世論が大勢を占めていましたが、福島原発の過酷事故以降は原発について熱心に学びました。

 2012年4月から脱原発を求める首相官邸前の抗議行動を始め、今も毎週続けられています。 原発問題を東北だけの問題にするのはおかしい、54基もの原発を地方に押し付けたみんなが当事者である。僕たちは社会運動に関わるとき、①問題を主体化すること、②思考停止しないこと、③自律すること、④クールであること、を大事にしました。

 2013年に特定秘密保護法の強引な進め方に抗議して特定秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL)をつくり、憲法や民主主義についてキチンと考えるようになりました。

〝わくわく感〟のある社会運動

 これまでの社会運動は動機(WHY)があり、即、行動(ACTION)があった。しかし他者に何かを伝えるには戦略(HOW)が必要です。受け手の人たちのことを考えて、ワンフレーズで伝え、見せ方にこだわる戦略を重視しました。楽しい時間を削って社会運動をやるので、僕らはそのことを遊び場にしようという発想です。このような〝わくわく感〟のある運動が僕らの原動力になっています。

 2015年に安保法制を阻止するため、自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)を結成しました。プラカードに英語が多かったのは海外のメディアの報道で伝わりやすいからです。SEALDsでおもしろかったのは、リーダーはいなくてみんなで役割を決めていたことです。一人ひとりの役割があるから参加し続けることができました。これはすべての社会運動に通じると思います。

 2016年の参議院選挙では、SEALDsも参加した市民連合の要請もあり野党共闘が実現できました。石川県でも市民連合がつくられ、野党共闘が実現したことは今後の国政選挙だけでなく、いろんな社会運動にも活かしていけると思います。 問題を可視化すること

 私は中学3年から平和大使として社会運動に参加してきて、問題が可視化されると問題の重要性が広がることを実感しています。

 ひとりの女性の「保育園落ちた!日本死ね!」のブログが待機児童の問題や保育士の待遇問題を大きくクローズアップしました。困った問題があれば当事者が声を上げて変えていくしかない。それが小さな声であっても誰かが受け止めて拡散して可視化に繋がるかも知れない。そのとき共感する人がいなくても当事者の発言、声に励まされる人はきっといます。

 これまで被爆者支援の活動や特定秘密保護法、安全保障関連法、参議院選挙のときなど、どの行動をするときも僕が大事にしているのは「人間の尊厳」を取り戻すことです。

 「核抑止」論者は核兵器を落として殺される人たちの顔を思い浮かべているのか。安保法制施行で南スーダンに派遣された自衛隊員が殺害するかも知れない少年Aには必ず家族がいるはず。被爆者一人ひとりに物語があります。一人の被爆者の話を聞いただけで原爆のことを知っているとは言えないと思います。社会運動では「人間の尊厳」「個人の尊厳」を取り戻すことを大事にしていきたいと思います。

「ヒバクシャ国際署名」

 戦後、被爆70年を経て、広島・長崎の被爆者が中心になって自分たちで署名用紙をつくり、全世界に呼びかけた「ヒバクシャ国際署名」は、被団協、生協連、原水禁、原水協など広範な市民団体が一緒に取り組むことになりました。

 昨年末の国連総会で「核兵器禁止条約」の制定交渉を開始する決議が賛成多数で採択され、今年3月下旬と6月15日~7月7日まで国連本部で核兵器禁止条約の交渉会議が開かれます。今後、同条約ができれば国際法上、核兵器の使用は禁止されます。核兵器の使用が違法化されれば、大きな歴史の転換点となります。「ヒバクシャ国際署名」を大きく成功させましょう。

◎3月4日、金沢市近江町・市民交流プラザで開かれた平和サークル「むぎわらぼうし」例会の「ヒバクシャ国際署名」キャンペーン・リーダー・林田光弘さんの講演要旨です。例会終了後、近江町市場前で「ヒバクシャ国際署名」の街頭宣伝も行われました。

(非核の政府を求める石川の会会報「非核・いしかわ」第224号より転載)

講演終了後、近江町市場前で「ヒバクシャ国際署名」の街頭宣伝を行いました

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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