プロジェクト・ゲンと「はだしのゲンをひろめる会」の共催により、10月2日、金沢市近江町交流プラザで開かれた『はだしのゲン』中国語繁体字版・出版記念講演会における坂東弘美さんの講演要旨を紹介します。
「はだしのゲン」が中国を駆け巡りたい理由
講 師:坂東弘美さん(中国語版翻訳者)
ゲスト:中澤ミサヨさん(中沢啓治夫人)
坂東さんは開口一番「私は翻訳者ですが中国語は話せません。中国で日本語を話せる人とつながって翻訳が実現したのです」と言われた。その言葉に象徴されるように、伝えたいという熱い思い、体当たりの訴えが「偶然は必然だった」と言えるような出会いを生み、人と人がつながっていく。限られた紙面ではあるが概要をお伝えしたい。
〈中国とのつながりはこうして始まった、そしてもう一つの深いつながりが…〉
息子が中国へ留学し、親しくなった張陽君が交換のように1993年から我が家にホームスティした。中国語が全く話せなかった私は中国語の教室へ通うことにしたが、そこで見た「日本語教師募集」にひかれてその後中国へ。2年間の中学・高校の日本語教師を経て、1999年から2年4ヶ月北京の中国国際放送局日本語部で働いた。中国語もパソコンも出来ない中で、若い女性スタッフに厳しく言われながら番組作りをした。
チェルノブイリ救援で交流のあった石川とのご縁で「紫金草合唱団」の南京公演、北京公演を一緒に取り組んだ。そのとき協力してくれたのが、以前厳しい言葉を投げかけた同僚だった。人は繋がれるのだ。加害の贖罪、鎮魂、平和への想いの花を咲かせる活動、合唱は中国の人たちの心にも深くしみこみ、公演は温かな交流の場となり成功した。加害者としての謝罪の気持ち、それは私自身の想いでもあった。亡父は1937年からの上海掃討戦を含めて、計7年間、中国で軍人として人を殺す仕事をしていたのだから…。
〈ゲンが世界へ飛び立った〉
2001年にロシア語版が完成し、石川から中国国際放送局に10巻が送られて来たので、日本語部の隣のロシア語部の同僚たちに見せた。石川とは「チェルノブイリ救援中部」の活動を通じてつながりが深くなっていた。ロシアで初めて「はだしのゲン」の朗読劇が上演された時、原爆展も開かれ参加した。広島から来た人の、恐ろしい被爆証言を聞いていた子どもたちから「世界で一番核を持っているのはどこ?」と聞かれ、証言者が「あなたたちの国だよ」と答えると、とても驚いていた。核の恐ろしさを知らせていない。大人の責任だ。
中国国際放送は、38ヶ国43言語で放送している。タイ語部の友人が「長崎の鐘」を翻訳し、「はだしのゲン」も英語版から途中まで翻訳していたことを知った。その友人が帰国後、タイ語版10巻を出版したこと、沖縄戦や南京大虐殺、硫黄島の戦いなど日本軍をテーマにした本も翻訳出版していたことも知った。私は、これらのことを石川のプロジェクト・ゲンに紹介するとともに、その友人が日本語も話せないのにタイ語版を完成したことに刺激を受け、中国語版の翻訳を決心した。
英語版全巻が2009年に完成。アメリカ大使館にゲンの英語版2巻を贈った。ルース元大使から感謝の返事も届いた。2010年の国連軍縮会議に合わせたニューヨーク行動では、核軍縮担当代表に英語版を渡した。また、中学・高校の授業に参加し、プロジェクト・ゲンの浅妻さんが「はだしのゲン」の話をし、原爆が落ちるまでのアニメを上映した。アメリカでは原爆は戦争を終わらせたと肯定する意見も多いが、父親から10歳の時「はだしのゲン」を渡されて読み衝撃を受けたというアメリカ人の女の子もいたし、生まれ育ちはニューヨークという日本人の女の子が、「はだしのゲン」を読んで「投下者と被爆者と」という題で4分の映画を作ったというエピソードもある。ゲンが世界へ飛び立ち駆け巡り始めたのだ。
〈「ゲン」をめぐるさまざまな動き〉
・2012年12月 9日 「はだしのゲンをひろめる会」設立
・2012年12月19日 中沢啓治さん逝去
・2013年 6月 「はだしのゲン」少年ジャンプ掲載から40周年。広島では、「チーム青麦」など、若者達がゲンが伝えたいとことをしっかり受け継いで未来に向けて活動している。
・2013年7月30日 NHKクローズアップ現代「世界をかける『はだしのゲン』」
・2013年8月17日 松江市教育委員会「はだしのゲン」閲覧制限。全国から抗議の声があがり、制限は解かれた
・2014年6月25日 中沢啓治さん遺作詩「広島 愛の川」が山本加津彦作曲、加藤登紀子歌でCD発売
・2014年 11月1日 日本大学国際関係学部がゼミで1年間「はだしのゲン」のテーマで研究し、学園祭で発表。加藤登紀子講演、歌。
・2015年11月26日 被爆70周年、広島での「世界核被害者フォーラム」で「はだしのゲン」をアピール。
・2016年2月18日 「はだしのゲン」翻訳者の集いin広島。8ヶ国の翻訳者が集う。
〈ゲンよ中国へ渡れ〉
隣国であり核保有国である中国。中国では日本漫画への関心は高く、中国語への翻訳を北京国際放送局の同僚達が快く引き受けてくれた。8年かかって完成したが、出版は難しかった。(その状況は2015.10.12ニュース23で放映=ネット動画で視聴可)
北京国際図書博覧会では、中国の出版関係者に、原爆への憎しみだけでなく人を愛することを描いていると訴えたが、「加害者が…」「時期尚早」と言われた。中国の若者たちも日本の原爆に対して「必然的」「仕方がない」「加害者は逃れられない」などと、中国での日本軍の加害行為と結び付けて考えている。まず、何としても知ってもらうことだと思い、日本語学科のある大学や日本文化センターに「はだしのゲンをひろめる会」から寄贈した。博覧会で台湾の版権代理店が共鳴し、その後出版へ尽力してくれた。急遽中国本土の簡体字から台湾の繁体字へ変換して今回の出版となった。台湾大学でも講演し、日本語学部図書館にもひろめる会から「はだしのゲン」を寄贈した。
台湾の書店のレジ横に山積みになっているゲンに感動。24時間営業の書店で、中国本土からの旅行客も買っていくとのこと。別の施設では原爆展も開かれた。(その状況はテレビ朝日テレメンタリー2016・8・21で放映=ネット動画で視聴可)
この9月23日衆議院議員会館で開かれた「第5回日中出版界友好交流会」では、張陽君の通訳で、中国からの訪日団の団長に北京で会ってほしいと直訴した。中国での出版は、当局の発行するコード番号の獲得が必要になるので、出版社が恐れるのだ。
「心は通じる」が「伝えないと伝わらない」。日本人の奥ゆかしさでは伝わらない。加害の事実は事実として認めながらも、日中友好への思い、平和への願い、人々の草の根の活動を根気よく伝え続けないとだめだ。
「広島 愛の川」に歌われているように、ゲンも世界中が愛で満たされることを願っている。平和の懸け橋として、ゲンを世界へ、若者たちへ駆けめぐらせたい。