9月17日、18日 戦争展 in 江戸川に参加して(浅妻南海江)

平和のための戦争展実行委員会が開いた「戦争展in江戸川」 (9月17日、18日 タワーホール船堀1階ホール)

出演者・スタッフのみなさん(右から2人目が筆者の浅妻南海江さん)

「歴史の真実を語り継ぐ   戦争展 in 江戸川」に参加して

                  浅妻南海江

 9月17,18日の両日、東京江戸川区のタワーホール船堀で「歴史の真実を語り継ぐ 第17回戦争展 in 江戸川」が開催されました。実行委員会の1団体である江戸川区原爆被災者の会「親江会」が<はだしのゲンを語る>という特別企画をするということで、ひろめる会に参加の依頼がありました。戦争展全体ではDVDの上映や「戦争をめぐる民話」と題して朗読などがありました。

 ゲン関係の企画全体は元ピンクレディなどプロディ―スされていた貫泰夫さんで「久しぶりのプロデュースにわくわくしている」と大変な力の入れようでした。ご自身、広島まで出掛けて中沢先生の思い出の地を巡り、たくさん写真を撮ってこられました。当日は映像をステージの背後で流しながら各々が発言する、という形式で行われました。

 発言者は中沢先生のたった一つ遺された詩「広島 愛の川」の作曲者、山本加津彦さん、広島カープの山本浩二選手の兄で貫さんと同級生の山本宏さん、親江会の方々、それにアラン・グリースンさん(英語版)、坂東弘美さん(中国語版)、浅妻南海江(ロシア語版)が加わり、坂東さんが「中国からの寄贈希望が30近くの大学からあった」と話した時は会場が少しざわつきました。予想外のことだったからだと思われます。

 被爆証言をされた山本宏さんの話をお聞きしながら、中沢先生も東京に出て20年もの間、原爆に背を向けておられたことを思い出していました。みなさん、どんなにか辛く、悔しい思いをされたかを思うと仇やおろそかに被爆証言を聞くことは出来ないと強く感じました。当時を思い出して3巻までしか『はだしのゲン』を読めなかった、ともおっしゃっていました。

 吟じられた「原爆行」は心を打ち、丸木位里さん、俊さんの原爆の図が脳裏に去来しました。

 山本加津彦さんはAKB48や東方神起に楽曲を提供している人気の作曲家です。ここ3年、8月6日に広島の川沿いで子供たちを中心に「広島 愛の川」を大合唱するイヴェントを行っておられます。

 ご自身が作曲を申し出られた山本さんの平和への強い意志の根底には学校で読んだ『はだしのゲン』の影響もあったことを知り、学校の現場で平和を伝え続けるゲンの活躍に感慨深いものがありました。

 最後に広島の川沿いで歌う子供たちの大合唱が映し出されました。

 「広島 愛の川」8月6日川沿い大合唱 公式 Music Video

 https://www.youtube.com/watch?v=vbNyHpGEgr0

 中沢先生の眠っていた詩は先生亡き後、奥様に披露されたことによって世に知られ、山本加津彦さんの作曲によって命が吹き込まれて目を覚まし、加藤登紀子さんに歌われることによって歩きはじめ、川沿いで歌う子供たちの大合唱で今や駆けだしている、と私には感じられます。

 会場からは「昔、子供がゲンを愛読していて言葉が汚いと、学校から呼び出されたことがある」というクスッと笑えるような発言もありました。

 「はだしのゲン」紙芝居CDは壇上でPRする機会があり、持参した10枚のCDは完売でした。翌日の『はだしのゲン』の紙芝居は生憎見ることはできませんでしたが、「もしかして紙芝居の現場でPRすればもっとCD売れたのでは?」といささか残念に思っています。

 今回のイヴェントを通じて、平和団体との横の関係をより太くすることでゲンの活動も広がっていくことを感じた次第です。

(NPO法人はだしのゲンをひろめる会理事長)

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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