原水爆禁止世界大会・国際会議 参加報告(坂東弘美)

原水爆禁止2019年世界大会・国際会議 参加報告 

核兵器廃絶へ共同と連帯

                    はだしのゲンをひろめる会  坂東弘美                           

 8月3日。 朝7時24分名古屋発ひかりで広島市文化交流会館に向かう。タクシーの運転手さんが「昔は岩国基地のアメリカ兵が来るぐらいだったのに、オバマさんが来てから、広島の外人観光客はドッと増えましたよ」と言っていたが、街には外国人観光客が多い。

 チラシA4 600枚(アラビア語支援日英語と寄贈申請書200×3)と、見本英語版1と2巻。広島国際センターに寄贈するアラビア語版1-5巻と中国語(繁体字)10巻は、一人で運ぶには相当の重さであったが、無事会場に到着。

 会場で資料は発言者の原稿のみ並べられるとのことで、急遽コンビニでコピーして、日・英100枚ずつの200枚を準備。寄贈受付チラシはロビーに置いた。出発前にリクエストのあった、広島国際センターの廣瀬さんとロビーで待ち合わせ、無事贈呈。とにかくゲンの漫画が目立つことだけ考え、募金箱も机の上。紐をつけて肩にかけ、常時投入歓迎体勢。

 1945年来、アメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこなった。1954年のビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍が知られたことを背景に、1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌56年には、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開かれた。以来連綿として世界大会が開催されてきた。今年のテーマは「核兵器廃絶へ共同と連帯の推進―反戦平和、原発、環境、人権、暮らしなど運動とともに」。

 

 今年の国際会議は 21ヶ国、86名、37団体の海外からの参加。2015年の報告では、20ヶ国147名。2017年は26か国260名となっているので、今年の参加は少ない方か。今年の全体の参加者は200名。核保有国も参加している。中国にも招待状は送っているが、返事が来ないそうだ。海外代表紹介。主催者と被爆者の挨拶。地球上には14500発の核兵器。国連で核兵器禁止条約を採択させるために奮闘しているオーストリア、キューバ、メキシコ、ベネズエラは政府代表が参加している。日本原水爆被害者団体協議会事務局次長の被爆者挨拶には会場が引き締まった。

 オーストリア 欧州統合外務省公使、核兵器・IAEA・CTBTO・NPT課長 ガルフオーファー氏挨拶。「わが国の憲法は核兵器を原子力とともに明確に禁止している。」の言葉を羨ましく思った。米国とロシアの非政府組織・運動・キャンペーンの共同声明は、ユーモラスに始まったが、「我々はそれぞれの政府が近年行なってきた危険で容認できない核脅迫を非難する。ロシアの場合、クリミアの事例であり、アメリカの場合はイランと北朝鮮である。ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツの終末時計は零時2分前に設定された。」の発言に緊張する。質疑応答もとても活発でフレンドリーな雰囲気で進んだ。

 若い研究者や平和行進を続けている若者が、発言するのは頼もしい。(平和を教え、平和和を創ろう、フィリピン)国際青年リレー行進者のゲレーロ氏は写真家であり、アーティスト。ヨルダンの中近東大学プロジェクト「夾竹桃イニシアチブ」学術アドバイザー・国際資格コーディネーターのラージャさんのスピーチが心に残る。次世代を信じ、学生たちと色々な対話をしている。イスラエルが隣で、イランの核兵器。いつも恐怖心の中で暮らしている。米人議長が「私も米人として恐怖心を感じている」と発言。ベトナムでは今も枯葉剤で苦しんでいる。銀行の軍需産業への投資は代替案が必要。ヨーロッパには倫理的な信念を持っている銀行もある。憲法九条の大切さ、沖縄の県議会議員からの発言には何度も拍手が起きた。国際会議は様々な世界の問題があぶりだされる場だ。

 開会総会で発言する坂東弘美さん

 議長席に発言用紙に記入して申請すれば、誰でも発言できる。私は200人全員が参加している時間帯にうまく入れてもらえ、クルリと回ってTシャツのゲンの漫画を見てもらい、更に募金箱も高く掲げて、アラブ支援の呼びかけをする。議長が「はだしのゲンは強力なツールである」と、後を繋いでくれた。

 午後は分科会。私は「核兵器廃絶へ共同と連帯の推進–反戦平和、原発、人権、暮らしなど運動とともに」に参加。ここでも発言申請して、1990年に救援のためにチェルノブイリを訪問したことがきっかけで、浅妻さんと知り合い、彼女が「はだしのゲン」をロシア語に翻訳したこと、服部君事件でクリントン大統領に直接日米170万人の署名を手渡した話、日中戦争など、暴力で解決する根っこは同じであるという具体的な話をした。

分科会参加者と記念撮影

 ロシア、イランでクーデターを見てアメリカへ渡った女性、フィリピンもアメリカが私達の国に何をしたか…などと続き、日本の20歳の学生も「僕も話したくなった」と、皆次々とマイストーリーを語った。 沖縄も岩国基地の話も結局はアメリカ。

 8月5日の閉会総会。英語の見本の本を買いたいと言っていた人が2人いたので、金沢と連絡をとって、売るつもりで立ったけれど、現れない。というか、誰かと話していると、一人では対応が出来ないので、通過されてしまうのだ。やはり二人くらいの参加は必要だと思う。「僕もゲンって言うんです」と、30代の若者現る! 両親がゲンが好きで、この名前にしたと聞かされて育ったと言う。甲府の青年。

 広島の地元民間放送のTVは、広島・長崎の悲劇が繰り返される危険が、今以上に増大したことはない。来年はNPT発効から50年。核保有が五大国のみに認められている不平等性を厳しく問うた会議であったことを、参加者のインタビューを通して丁寧にレポートしていた。

 「国連憲章の平和原則を遵守し対話と外交によって問題を解決することを強く要求する。核兵器の非人道性を体験した日本は、アメリカの核の傘から離脱し、禁止条約を支持し、参加すべきである。被爆者の平均年齢は82歳を超えた。人間らしく生きようとするすべての人々とともに「核兵器のない平和で公正な世界」の実現のために力を尽くそう。

 会議では来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に「核兵器廃絶を求める世界の声を届けよう」と繰り返し訴えられ、署名が呼びかけられた。

 6日。広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典に一般席で参加した。毎年首相の挨拶は矛盾の巣窟で虚しい。核兵器廃絶と毅然と言うべきは日本なのに。途中で雨が降り出し、遠くに右翼?の声が聞えるけれど、雨のせいか気にならなかった。平和記念公園内を歩きまわって日本語、英語のアラビア語版出版支援チラシを配る。

被爆証言のあと海外代表から折り鶴を受け取る西本多美子さん

 午後からは世界大会。年々大会の規模が小さくなっていて、今年の参加者は1300人と発表された。金沢の西本多美子さんが被爆者証言をする。いつも聞かせてもらっている4歳の時の体験だけど、何度聞いても涙が出そうになる。立派なスピーチだったが、年々被爆者は減っている。核兵器禁止条約の批准は急がねばならない。

 世界大会のフィナーレ。名簿を見ていて驚いた。名古屋工業大学のエサティエ先生が、「戦争を超えた世界 日本支部コーディネーター」として参加していた。名工大には、英語と中国語(繁体字)版を彼が入れてくれている。皆で「ウィシャルオーバーカム」を歌って終了した。

「広島 愛の川」を作曲した山本加津彦さんが演奏

 西本さんと彼女の親友の中島さんと合流。元安川で中澤ミサヨさんとも合流。主催者の作曲者である山本加津彦氏に挨拶して、中沢啓治作詞の「広島 愛の川」合唱を聴く。原爆ドーム対岸の親水テラス(とうろう流し会場)で開かれるようになって、今年で5回目だ。毎年こんな行事が行なわれていること、天国の中沢啓治さんに伝えたら、どんなにか喜ばれることだろう。ゲンよ、愛の川から世界へ羽ばたけ!

 

 

 

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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