広島・長崎被爆70周年 世界核被害フォーラムin広島の参加報告

核被害フォーラム

11月21日から23日、広島国際会議場で開かれた世界核被害フォーラム

 11月21日から23日広島で開催された「世界核被害者フォーラム」は、 広島のNGO団体「核兵器廃絶をめざす広島の会」を中心に実行委員会を結 成し、世界の核被害が参加して開催されたもので、約60人の海外からの 参加者、日本から300人ほどが参加した。

 広島・長崎での原爆投下、世 界中で行われた核実験によって、今なお、悲惨な放射能被害が続いている ことが報告された。また、軍事利用だけではなく、産業利用(平和利用) においても、放射能の被害は大きく、人類は核エネルギーを使ってはなら ないということが確認された。今後、核兵器の使用を禁止する法的拘束力 のある国際条約の交渉の開始を求めるとともに、核兵器の廃絶に向けて、 そして、核被害者のネットワークを強化していくことが確認された。

  はだしのゲンをひろめる会の浅妻南海江理事長、江守道子副理事長、西多喜代子理事の参加報告を紹介します。

 

広島・長崎被爆70周年

核のない未来を! 世界核被害者フォーラムに参加して

浅妻南海江

浅妻さんが発言

3日目のセッションで発言する浅妻南海江理事長

 11月21-23日の3日間、広島市の国際会議場で世界核被害者フォーラムが開催されました。3年前から実行委員会を作り準備を始めていた、というこのフォーラムの情報を知った時から是非参加しょうと決めていました。

 世界に点在する核被害者の中には文明の利便性を享受することなく、核の情報も知らされず、災いを受け入れながら汚染された土地に住み続けている先住民族がいます。被曝するとわかっていても生活のために原発労働に従事する人々がいます。ウランは採掘、選鉱からはじまり、原発労働、原発事故、核実験などで核被害者を生み出しながら利用され続けています。フォーラムは各地、各種のヒバクシャから直接話が聞ける大変貴重な機会だと思いました。

 便利な文明生活の中にあって、我々の生活がどれほど多くの人の命の犠牲の上に成り立っているかを再認識する機会でもありました。

 フォーラムのプログラムは多様性にあふれ、ウクライナやインドなど海外9カ国から、ヒバクシャ、放射線被害の専門家、法学者、社会活動家などを含む延べ約900人が参加しました。。

 1日目の午前中の開会セッションには間に合いませんでしたが発言の中からいくつか報告します。

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  1日目 核サイクル現場被害からの報告

<ウラン採掘>

  • ペトゥーチ・ギルバート(アメリカ ウラン鉱山先住民)

 ニューメキシコ州は原爆誕生の地。この地域は1万年以上にわたり住み続けている先住民の故郷。50年に亘りウラン産業が土地、空気、水を汚染し人々の健康を蝕んできた。グランツは世界のウラン産業の中心地と呼ばれた。現在米環境保護庁の認定で「遺産鉱山」とされ除染が行われているが住友商事が部分的に所有するロカ・ホンダ鉱山が開かれる予定。

  • アシッシ・ビルリ (インド ジャドゴダ・ウラン鉱山・放射能反対同盟)

 12月に安倍首相がインドに行くが、日本こそ非核のお手本を示すべきなのに、ウランの商売に精を出して原発を売る。私達は25日に住友商事に申し入れに行く。インド政府は住民がガイガーカウンターを持つことを禁止しているし 被害はないと言う。私達は子どもを生んだとき、いつも障害がないか、指を数える。こんな不安はもうごめんだ。被害者の国際的ネットワークを作る必要がある。

インドの子どもたち

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)ポスター展 於・フォーラム会議場

 インド・ジャドゴダで生まれ育つ。26歳。核犠牲者の写真を撮り啓発活動をしている。インドのオンライン写真誌『がリーマガジン』などに写真を発表。 

 <核実験>

  • カリナ・レスター(南オーストラリア州ククサムラ族 英核実験被害者 豪州非核連合)

 オーストラリア先住民として、先祖からの土地の言語と文化に囲まれて育った。先住民は英語を話せない。核実験のことは知らされていなかった。移住により言語も文化もバラバラになった。父親は失明した。南オーストラリア州には核処理場や鉱山があり原子力産業が活発。1953年以降にはイギリスによる核実験がおこなわれた。先住民は反対の声を上げた。女性は文化を守るために立ち上がった。声を上げることで他者から支援を得られる。

  • アニワル・トフティ(中国核実験被害者 英国在住 ロプノール・プロジェクト)

 被曝当時は10歳、通学の途中だった。ウルムチに実家があり、その日は空から降ってきた灰で何も見えなかった。学校で先生に聞いたところ「これは土星の嵐」という説明だった。これが核実験の子供としての最初の経験。

 公式に中国が発表したより西で核実験が行われている。

 新疆ウイグル地区には降下物が大気中に浮遊したままなので肺癌が多い。

 ウルムチの鉄道病院で外科医をしていた彼は住民のがん罹患症例の詳細を作成、

 1997年、「シルクロードの死」と題するドキュメンタリフィルムを作っていた欧米のプロジェクトに情報を漏えいした結果、中国を追われ、1990年イギリスに難民として受け入れられた。

  • 竹峰誠一郎(マーシャル諸島におけるアメリカ核実験被害研究者)

 マーシャル諸島では67回の核実験。広島の7000発に相当。無自覚の中で核実験が続けられる。

 1954年、水爆ブラボーの実験。アメリカはロンゲラップに医師を派遣、情報は本国へ。遺伝調査のためには理想的な状況であった。1986年、マーシャル諸島共和国は独立する。補償金1億5000万ドル。

<広島・長崎原爆被爆>

  • 沈鎮泰(シム・ジンテ)(韓国原爆被害者協会 陜川支部長)

 韓国の広島と呼ばれている陜川から来た。1943年広島生まれ。

 原爆が投下された当時朝鮮人ヒバクシャ総数は約10万と推定。

 43000余名は帰国したが、原爆後遺症により貧困、差別の中で死んで行った。現在被爆者として登録しているのは2650名余。日本政府は朝鮮人を被爆者援護法から排除した。数十年間個別訴訟をしている。日本は戦犯国として過去の侵略戦争と植民地支配の歴史歪曲をやめるべき。

<原発事故/原発労働>

  • アレキサンダー・ヴェリキン(ロシア・除染作業)

 被害者を守るためにチェルノブイリに関する法律がある。私は8000回の裁判に出ている。2回は憲法裁判。福島は何の法律を持って戦うのか?

  • アントン・ヴドヴィチェンコ(ロシア・チェルノブイリ原発事故被害支援NGOラディミチ代表)

 医療にも関わりすでに約2万人を検査。16年前に生まれた子供たちも甲状腺がん多発。現在は皮膚がんの発生率は高くなっている。子供たちのために3-4週間のサマーキャンプを実施している。

 スピーチしていた彼が突然倒れる。会場は一時騒然となる。司会者は「英語でスピーチして緊張したのでは?」と心配気。医師たちがいたので大事には至っていないと思うが彼と話がしたく、翌日も翌々日も探したが見かけなかった。チェルノブイリの事故で被曝した人たちは虚弱体質で鼻血を出したり失神したりする。

  1997年、私達がウクライナの寒村を訪れたとき、歓迎のため学校に集まってきた生徒の一人が突然倒れた。誰かが「これがチェルノブイリだ!」と叫んだことを思いだした。30年近く経った今もチェルノブイリは確実に続いている。

<核廃棄物利用・劣化ウラン兵器>

  • 伴英幸(原子力資料情報室共同代表)

 核廃棄物利用として劣化ウラン弾は倫理的に許されない。原発から出る低レベル廃棄物は六ケ所村へ。再生可能なエネルギーを発達させることが重要。

 劣化ウラン弾は湾岸戦争、コソボ紛争、イラク戦争で使用された。

  • ジャワッド・アルーアリ医師(イラク保健省ガン医療顧問)

 1991年イラクで初めて500トン余りバスラにおとされる。

 2003年までに計2000トンが使われた。42か所で激しい汚染、そのうち11か所はバスラである。住宅地、民間人に対して使われた。戦車など汚染されたものは放置され、その結果住民は被曝。白血病、ガン、先天性異常の子供たち、4歳の女児は卵巣ガン。家族での二重、三重のガンの発症が多い。このような状況は戦争前にはなかった。資金不足、医薬品不足、診断用具の不足。緩和ケアの必要性がある。

  • カリーム・アブドゥルサダ・アブドゥアーメド医師(イラク・バスラガン予防センター長)

 2003年、バスラはイラクに戻ったが劣化ウラン弾の影響は大きい。

 私の仕事から見るとガンの発生は増加している。従来は400-500例程度だが現在は約2000例。10%は子供で白血病が多い。大人は白血病、乳ガン。

 医師不足、医薬品不足、放射性同位元素の不足。でも医療関係者は努力している。

 「放射能問題を大きくしない。」というIAEA のと密約があるWHOは本格的な調査に乗り出していない。

 福島の事故があった時、IAEAの「チェルノブイリ原発事故は大したことはなかった」とのコメントを聞いてテレビの前で怒り心頭に達したことを思いだした。

 

【夜】 歓迎レセプション

 レセプションでは『ゲン』のプロモーション頑張るぞーと思いつつ、気がつけば中国語版坂東弘美さん、英語版西多喜代子 さんと3人でもぐもぐパクパク、料理にエネルギーを注いでいました。

 はぐくみの里のみなさんの歌や篠笛の演奏で会場は和やかな雰囲気です。

秋葉忠利さん

スピーチする秋葉忠利さん

 元広島市長の秋葉忠利さんは歓迎のあいさつを英語で述べておられました。中沢先生と昵懇の間柄で『ゲン』の趣旨を説明して協力をお願いしました。その後、ロシア人がいたので話しかけたのがアナトリー・チュマクさん。

 『ゲン』の話をするのを忘れ、名刺を渡すのも忘れ、ウクライナの被曝者との交流など話していました。あとでプログラムを見たらウクライナ国立放射線医学研究センター副所長、ウクライナ・チェルノブイリ25年国家報国作成責任者の一人と知りました。この本は日本語にも翻訳され、私は知っています。驚きました。レセプションではイギリスの「80000人の声」、という番組のアクティビストをしているジーナさんとも知り合いました。大変有名な番組のようです。

 『ゲン』の話をすると「2020年広島でイヴェントをするのでゲンの映像を使いたい。どこで許可を得ればいいか。」と聞かれたので中沢夫人を紹介。PR用に持っていた英語版1巻を差し上げたら胸に押し抱き大感激していました。

 交渉は英語版の西多喜代子さんがいるので心丈夫。会場では江守副理事長にもお会いできました。

 

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2日目 ヒバクに関する科学

  • 朝長万左夫(長崎原爆病院名誉委員長 世界核被害者フォーラム実行委員会共同代表)

 100㎜シーベルトがガンの発症基準。しかし原発作業員など100㎜シーベルト以下の低線量被曝でも発症。また1.5Km以内の近距離被曝者ほど多重ガンがおおい。白血病から臓器ガンへ進行。

 被曝は単に遺伝子を傷つけるだけではなく精神的ダメージが大きい。

  • アナトリー・チュマク(ウクライナ国立放射線医学研究センター副所長、ウクライナ・チェルノブイリ25年国家報国作成責任者の一人)

 スピーチは「まさかの時の友こそ真の友」という日本語から話が始まった。チェルノブイリでは広島、長崎の医学者が協力した。

 15年間の間にリンパ性白血病は3.5倍に増加。放射能の影響と認定される。

 1991年から甲状腺ガンが加速度的に増加。男性より女性の罹患率が高く非悪性甲状腺ガンも多発。ウクライナはヨウ素不足が1つの要因となっている。以前は最も発症数の少なかった地域でも乳がんが増えている。除染作業員の死亡率は高く、循環器系の病気が多い。今ウクライナは福島に協力している。

 1991年ウクライナは核を廃絶した。

 福島とチェルノブイリの比較に関してIAEA によれば福島はレベル7でチェルノブイリの10分の1。ウクライナほどの急性の乳がんはなかった。

 WHOはIAEA の影響を強く受けている。

 チェルノブイリ火災では広範囲で核物質が拡散している。

 

特別セッション 基調講演 小出裕章(元京都大学原子炉実験所助手)

「あらゆる核利用はいわれなき犠牲をしわ寄せする」

  • 小出裕章

「京都大学原子炉実験所を助教のまま退職した小出です。」と自己紹介。

 なんとか破局的な事故が起きる前に原子力発電所を止めなければいけないと思って生きてきたが結局できなかった。日本国内では「日本は唯一の被爆国」というが核の軍事利用に限って被害は世界中で起きている。ウラン鉱山のほとんどは先住民として虐げられた人々の土地にあり、彼らは労働者として、周辺住民として被曝。

 また、核実験場の兵士、風下に住む住民、、核の平和利用といわれた原子力発電所の事故でも被曝者が増え続けている。

 国連の常任理事国5ヶ国は核兵器を保有して核の独占を図ってきた。核実験が繰り返され、原爆の1万倍のセシウムが世界にばらまかれている。日本は潜在的核兵器保有国。核武装の道を歩んできた。核の平和利用はありえない。フクシマは移染14万袋。10万人が流浪の民。事故当日に発せられた緊急事態宣言が4年8ヶ月過ぎた今も解除されていない。政府の発表はとことん狂っている。全世界のヒバクシャと協力し、あらゆる核利用を無くす方向に向かっていかなければならない。

 小出裕章先生を囲んでのラウンドテーブル

  • クマール・スンダラム氏(インド核軍縮平和連合)

 核燃料サイクルそのものが非人道的。被害者は研究者の支援を得て全体の戦いを進めなければならない。3月14日、日本政府の声明の前にインド政府は「フクシマは事故ではない。メンテナンスの一部。」という声明を発表。

 右翼政権は原子力産業を進めようとしている。インドでは第3者的には安全審査はない。

  • アナトリー・チュマク(ウクライナ国立放射線医学研究センター副所長、ウクライナ・チェルノブイリ25年国家報国作成責任者の一人)

 チェルノブイリ29年目に於ける健康への影響、多方面の被害者への初期および間接的影響を報告。

 チェルノブイリの経験は今後役に立つ。情報の交換が必要。

 

核兵器禁止・劣化ウラン兵器禁止キャンペーン

ティルマン ラフさん

ティルマン ラフさん

  • ティルマン・ラフ(ICAN議長 創設者IPPNW 共同代表)

核兵器は非人道的兵器 核兵器の実が唯一禁止条約をもっていない。

1980年代大量の大気への汚染。赤十字の最大課題は核兵器の禁止、廃絶である。

  • 大久保賢一 (日本反核法律家協会事務局長)

核兵器の危険性の共同認識が進んでいる。多くの人が認識するだけではなく、立ち上がらなければならない。

 マーシャル諸島共和国は核保有国9か国を相手に「核軍縮努力義務を怠っているのは国際法違反」として国際司法裁判所に提訴。法的手段を用いることができる。イギリスは裁判を受諾した。国際司法裁判所はイギリスに対して核軍縮交渉を誠実に行う義務があるとした。

 イギリスは統治信託時代核実験を60数回行う。日本反核法律家協会はマーシャル諸島共和国に連帯を表明。

  • マンフレート・モーア(ICBUW運営委員 ドイツ弁護士)

 戦争は環境破壊。

 NPT体制の矛盾、不平等条約。核廃絶を願うなら原子力発電所を禁止し、NPTを乗り越えなければならない。

 

反核利用キャンペーン(ウラン採掘、原発、核燃料サイクル)

  • 武藤類子(福島原発告訴団団長)

 東京電力福島第1原発事故は4年8か月過ぎた現在も続いている。

 原発労働者は過酷な被曝労働と作者のなかにあり、除染に夜放射性廃棄物はいたるところに山積みにされているか埋められている。原発安全神話に代わり放射能安全神話が生まれ、被爆への警戒心や健康不安の事場を封じ込める。小児甲状腺がんは増え続けており、原発事故との因果関係を安易に否定すべきではない。福島原発原告団約1万5千人が刑事告訴した事件は来年にも刑事裁判が開かれる。未曽有の被害を引き起こした原発事故の刑事責任が、ようやく問われようとしている。

 映像ドキュメンタリー上映会

「インド・アメリカのウラン鉱山被害」(初公開)

解説 シュリ・プラカッシュ監督

 インド東部ジャールカンド州にジャドゥゴダという小さな村にウラン鉱山数か所、工場がある。1960頃からウラン調査が開始された。その後奇病、不自然な死、死産、流産などが増加する。やがて彼等は抗議の声を上げる。彼らの現在の状況を映し出している。

 「アメリカ西南部ウラン鉱山の遺跡を明かす旅」

解説 シュリ・プラカッシュ監督

 アメリカ南西部-先住民族アコマ、ラグナ、ナバホー族には長いウラン鉱山の歴史がある。かつては誇らしげにウランの首都と呼ばれたこれらのインディアン居留地と貧しい白人のコミュニティには、今、古い鉱山、尾鉱ダム、そして命にかかわる産業遺産であるその他のウラン汚染が散らばっている。ナバホー人の国家(アリゾナ州ニュー メキシコ、ユタ)だけで、500 以上の放棄されたウラン鉱山サイトがある。

 この映画はスペイン征服で南西部にもたらされた植民地主義が新しい鉱物資源を求めて近代、如何に変貌したかを模索している。

 ドキュメンタリー上映の間、世界放射線被害者人権憲章起草委員会が会議運営事務室でおこなわれていた。

核被害フォーラムフォーラム会場風景

 

 11月23日 (フォーラム最終日)

 今後の核被害者ネットワークをどう築いていくか

 各セッションのコーディネーターによる総括と全体討議。

 ウラン鉱山と先住民の問題。先住民族の価値観は祖先と土地を守ることである。核被害者の権利に向けた活動では権利の確立の重要性が、またヒバクシャ団体からは組織をまとめる難しさが述べられたさら。更にアート・マスコミの広汎なネットワーク作りの大切さや劣悪な状況にいる組織化されていない被曝労働者の問題などが提議された。

 休憩時間にロビーで韓国人の沈鎮泰(シム・ジンテ)さんに「『ゲン』を知っているか?」と尋ねると相好を崩して「知ってる、知ってる。私はゲンの大ファン。翻訳者のキムさんも知っている。」とのこと。そう、ゲンは韓国でも活躍しているのだったっけ。

 昨日、発言希望者は用紙に質問など記入して実行委員会に提出すること、というアナウンスにゲンのPRをしなくては、と思っている矢先、なんにでも気が回る中国語版のBさんが早々と用紙をもらってきた。宿に帰りB さん、Nさんの3人で発言内容を相談。フリーランスアナウンサーのB さんに2分で終わるよう数回読まされた。

 発言は実行委員会が採択するので、希望者の多い場合はカットされるが幸いアート・マスコミの部門で発言が許可された。

 当日は昨夜の練習の甲斐なく、脱線してしまい、持ち時間3分をオーバーしてBさんにこっぴどく叱られる。

 同席していた中沢ミサヨさんは発言を大変喜ばれた。お蔭でアメリカ3セット、スコットランドでの普及の話も出ている。

 閉会セッションでは、世界放射線被害者人権憲章要綱の提案が採択された。

 3日間を振り返って

 濃密な3日間でした。この過密スケジュールに主催者や報告者の意気込みを見た思いです。

 ヒバクシャの方々の報告の一言一言に一生懸命耳を傾けたつもりですが、もしかして大切な言葉を聞き逃がしたのでは、と後悔しています。

 あまりにも情報が多く、多岐にわたるヒバク地の実態を頭の中で整理し切れていませんが、わかることは目に見えない放射能の粒子一つひとつが地上にとてつもない災いの種を蒔き散らしているという事実です。

 今回のフォーラムは世界に点在するヒバクシャ、学者、法律家、社会活動家が一堂に会して情報を交換し、将来のネットワークの構築を見据えて活動の継続を模索し、更に参加者全員が「核廃絶」に対する強い意志を共有できた大変貴重な機会でした。このフォーラムを支えてくださった実行委員会の皆様、膨大な情報を3日間、たった4人で同時通訳してくださった皆様に心より感謝しています。

 まさに『ゲン』をひろめるために肩を押されたフォーラムでした。

 https://www.facebook.com/worldnuclearvictimsforum/

世界核被害フォーラム会場

世界核被害フォーラムは広島国際会議場で開かれた

 

世界核被害者フォーラムに参加して

江守道子

 広島・長崎被爆70周年を記念した世界核被害者フォーラム「ヒロシマから世界へ 届けよう核被害者の声を!核のない未来を!」と題した国際フォーラムに初めて参加しました。

 初日の基調講演は、ICAN&IPPNW(核戦争防止国際医師会議)共同代表で、かって金沢でも講演されたティルマン・ラフ博士による「ウイキャン:健全な持続可能な未来は核なしで初めて可能だ」で始まりました。特に強調されていたのは”核兵器が世界中の健康・福祉への最大、かつ直接の脅威。9月25日現在、核廃絶の人道的宣言に117カ国の政府が署名している。世界中に存在する15,700発の核兵器を禁止、廃絶するには、核兵器禁止のための交渉を行うことが急務であり、全ての国が妨害なく参加できることが重要。そして、この核兵器廃絶の動きを止めることは、もはや不可能であり核保有国の参加のいかんを問わず完了することができる”という力強い言葉が印象的でした。

世界核被害フォーラム レセプションにて

レセプション会場にて国際交流を深める

 翌日の基調講演も金沢で講演された元京都大学原子炉実験所助教 小出裕章先生の「あらゆる核利用は、言われなき犠牲をしわ寄せする」でした。核兵器は、戦闘員、非戦闘員を無差別に殺傷する兵器であり、ごく短時間に死に追いやられ、被爆者となる恐ろしい兵器。日本は、唯一の被爆国と言われて久しいが、実は被爆は世界中で発生している。例えば、原爆の原料であるウランは、先住民として虐げられた人々の住むウラン鉱山から採掘。彼らは、労働者として、周辺住民として被爆。原爆材料のプルトニウムを取り出す再処理工場でも放射能汚染で多数の人が被爆。核実験場では多数の兵士、その風下の地域住民の被爆。また、核の平和利用と言いつつ世界に広がる原子力発電所でもスリーマイル島、チェリノブイリそして福島の原発事故と上げればキリがない。今なお福島では、事故の収束の目安や方法もない。多くの住民や原発労働者は被爆し続けている。・・・暗澹とした気持ちになりました。

 この間、広島、長崎の被爆者や、核実験、ウラン採掘現場などの被害者が、それぞれの実態報告を行ない、「核実験」被害の討論では、米国の核実験が繰り返された太平洋マーシャル諸島や、英国の核実験場となったオーストラリアなどの被害者が現状を報告。中でも、米国ユタ州の作家メアリー・ディクソンさん(60歳)は、隣接するネバダ州での核実験による放射性降下物が米国内で広がった状況を説明。自身も甲状腺がんを患い「悲劇を知る私たちが、ともに力を合わせるべきだ」と訴えていたのが印象的でした。

 私たち医師。歯科医師は科学者として、また診療者として“核や放射能”の非人道性や悲惨さを、より多くの人々に知らせていく責務があると実感したフォーラムでした。

 

  「地球で一番大きな公害は、放射能です」 

西多喜代子

 このフォーラムに参加するまで、世界中でこんなにも多くの団体が、核廃絶のためにがんばっていることを知りませんでした。それにしても、危険と分かっているのに知らせないで、ウランを掘らせたり、核実験をしたりして、人間の命を大切に思わない人たちがいるのが残念です。

 現在多くの人々が一生懸命活動しているけれども、もう何十年も前に行われた世界中での核実験で、地球はすでに汚染されているそうです。それらから出た放射能は、広島と長崎での放射能の1万倍なのです。地球がこんなことになってしまっているなんて、がっくりしました。心に残った言葉は、「地球で一番大きな公害は、放射能です」でした。放射能の恐ろしさを少しでも多くの人に伝えていかなくてはと思いました。

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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