翻訳者4人によるシンポジウム報告/主催 安元隆子ゼミナール

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       日本大学国際関係学部・富桜祭会場の北口校舎1階ロビーにて

 

日本大学国際関係学部・富桜祭企画

 

◇日時  2014年11月1日(土)13:30~14:20

◇会場  日本大学国際関係学部北口校舎1階山田顕義ホール(300人参加)

◇主催  安元隆子ゼミナール

シンポジウム「世界を駆ける『はだしのゲン』」

●各国語翻訳者からの発言

ロシア語:浅妻南海江さん  英語:西多喜代子さん

中国語:坂東弘美さん     朝鮮語:金松伊さん

●特別ゲスト

中沢ミサヨさん(故・中沢啓治の妻)

●司会  安元ゼミナール 3年生

 

<翻訳に携わるきっかけ>

浅妻:広島・長崎の被爆がテーマの朗読劇「この子たちの夏」の台本をロシア語に翻訳する機会がありました。この時一緒に翻訳を担当したロシアの女性が涙を流して感動した様子がきっかけです。原爆の被害が海外ではほとんど知られていないことを痛感し、子どもたちに『はだしのゲン』(以下、「ゲン」)を読み聞かせていたことを思い出し、そのロシア人と一緒に「ゲン」の翻訳を始めました。今から思えば大それたことですが、中沢先生が素人の私たちに翻訳の許可を与えてくださったことに感謝しています。

西多:ロシア語版の完成後、浅妻さんが英語版を作ろうと呼びかけられた翻訳ボランティアに参加したことが始まりです。

坂東:私は中国放送の国際放送局日本語部に勤務していました。その頃の友人がタイに帰国してから「ゲン」のタイ語版を出版し、私もタイの国際ブックフェアに招かれて浅妻さんらと共に参加してきました。私の友人がタイ語に翻訳したので、私も中国語に翻訳できるのではないかと始めたわけです。

金:私は小学校2年の長男が学童保育から「ゲン」を借りてきたのがきっかけです。1995年に教育出版から中沢先生の『はだしのゲン 自伝』が出版された。その中で朝鮮語訳が出版されていない事を知りました。当時は在日が70万人程いたが、引き受けてくれる人がいなかったとの事です。それなら私がと、中沢先生宅を訪問して翻訳の了承をいただきました。

<現在の活動状況>

浅妻:ロシア語版は2001年に完訳しました。最初の他国語版「ゲン」です。現在はロシア語版の改訂版を作っている最中です。モスクワ近郊のブリャンスクの出版社から1巻、2巻を発行しています。日本語版の1巻から4巻になります。あと少しで全5巻が完成します。

西多:今年8月に「はだしのゲン・紙芝居」の英語版を作りました。NPO法人はだしのゲンをひろめる会がこの紙芝居CD(日本語版・英語版)を作成して普及しています。

坂東:あれから7年経ちました。中国語版は全10巻を完訳済みですが、いま困っているのは中国では出版の許可がなかなか下りないことです。このため現在は台湾語版の出版をめざして翻訳中です。

: 最初は北と南の同時出版をめざしましたが、北ではマンガ本の普及は行われていないため、やむをえず2001年8月に1巻、2巻を出版、2002年までに10巻を完成しました。その過程で売れ行きが悪く商業性にそぐわないと4巻で出版をストップする動きがありましたが、中沢啓治さんの思いを伝えるためには全10巻を発行する必要があると、中沢さんと一緒に出版社社長に直訴して10巻まで出版できました。現在までに2、5万セット売れており、冊数では25万冊になり、出版社は大いに儲けたはずです(笑い)。

<翻訳作業の実際>

浅妻さんがプロジェクターを使って説明(略) 

<読者からの感想や反響>

浅妻:ロシア語版(旧版)を完訳・出版した時は朝日、毎日、読売など各紙で大きく報道していただきました。ロシアではマンガ文化の位置づけが低かったため、学校や図書館を中心に普及したところ「絶賛する」「感動した」などたくさんの感想が寄せられました。ロシア語版の改訂版は、ロシアの情報サイトで「五つ星」の評価を受けています。

西多:英語版の読者の方からは手紙で、たくさんの感想が寄せられています。英語版出版の時には多くのメディアに取り上げていただき、テレビやラジオの取材もありました。2009年に広島で開かれた出版記念パーティでは約20社から取材がありました。

:2010年8月に朝鮮語版全10巻を出版した時、出版社はソウル市のど真ん中にある文化センターを借り切って出版記念パーティを盛大に開きました。どのメディアも「ゲン」を大きく取り上げ、おかげさまでテレビやラジオに私も出演しました。「ゲン」により韓国では小学生も成人も原爆の悲惨さを知ることができるようになりました。

坂東:中国ではまだ出版されていませんが、一昨年の松江市教育委員会の閉架措置があったとき、中国の国営テレビでは日本の反戦マンガが封鎖されたと大きく報道されていました。ただし、マンガの題名が「赤い足の小さな子」と改題されており、「ゲン」のアニメ映画がユーチューブに出回っていました。

<他国語に翻訳する意義>

浅妻:ロシアには核兵器開発やミサイル製造などでたくさんの秘密都市がありますが、核大国の若者たちが「ゲン」を読んで核について真剣に考える機会になればよいと考えています。また他国語版が増えることはゲンの体験が世界の若者たちの共通認識となり、反核運動の大きな力になります。私たちはゲンを通じて核廃絶の願いを次世代に託したいと願って活動しています。

西多:広島、長崎に投下された原爆の本当の姿を知らない人が多いので、被爆の実相が少しでも世界に広がっていく手助けができればよいと思っています。

坂東:中国での「ゲン」の出版が困難でも翻訳の活動を続けるのは、中国語を母国語とする人は世界人口の40%を占めており、中国語版を翻訳・出版すれば世界中にひろげることができると信じているからです。

:朝鮮では原爆投下により日本が敗戦し、植民地から解放されたという考え方がいまでも残っています。そうでなく戦争とは何か、戦争の悲惨さや人間はいかに生きるべきかについて「ゲン」は真剣に考えるきっかけを作ってくれたと高く評価されています。韓国の学校や公立図書館ではマンガ本は禁止されていましたが、今では「ゲン」が授業でも使われるようになり、マンガ本が学級文庫や公立図書館に所蔵されるようになっています。「戦争とは何か」「人間はいかにあるべきか」について「ゲン」は子どもたちが真剣に考える大きなきっかけを与えてくれました。韓国でも脱原発運動が熱心に行われていますが、「ゲン」はこの運動に大きな役割を果たし、勇気を与えてくれました。 

<今後の見通し>

:韓国語版を北でも出版できるよう働きかけています。「ゲン」に登場する朴さんは朝鮮に帰国し、亡くなられましたが、今その息子さんを探しているところです。

浅妻:昨年5月にNPO法人はだしのゲンをひろめる会を設立しました。アメリカの若者たちや発展途上国の若者たちに「ゲン」をひろめていきたいと願っています。

<中沢ミサヨさんの挨拶>

 今回このような企画を立てていただき、誠にありがとうございました。「ゲン」が20数か国語に翻訳され、ひろまっていることについて、主人は翻訳の依頼があるごとにとても感謝していました。自分の体験した思いや社会の矛盾をコツコツとマンガに描き続けて訴えていました。世界で出版されるとは夢にも思っていなかっただけにとてもうれしかったと云っていました。

生前、主人は広島に原爆が投下されたことは知られているが、被爆の惨状についてはあまり世界に伝わっていないことを嘆いていました。ゲンが世界各国を飛び回って、戦争の愚かさや平和の尊さを語りかけ、少しでも平和に役立つことを願って応援しているものと思います。

以上

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  他国語に翻訳・出版された本も展示された

 

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「はだしのゲン・紙芝居」(日本語版・英語版)も

 

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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