越境する漫画『はだしのゲン』 21カ国語に翻訳

    中国新聞社は被爆70年に向け、ヒロシマの原爆による惨禍と平和への願いを未来につなぐため、特集「伝えるヒロシマ」を連載しています。12月8日朝刊で『越境する原爆映画・マンガ』と題して、映画「ひろしま」(関川秀雄監督)、「原爆の子」(新藤兼人監督)と共に、マンガでは「はだしのゲン」(中沢啓治作)、「夕凪の街 桜の国」(こうの史代作)について大きく取り上げています。

   マンガ「はだしのゲン」の特集では、はだしのゲンをひろめる会にも取材がありましたので、本会ホームページに当該記事を紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中国新聞2014年12月8日朝刊

「伝えるヒロシマ」シリーズ(11)越境する原爆映画・マンガ

    マンガ「はだしのゲン」「夕凪の街 桜の国」 少年のドラマ 21言語に

   「主人公のゲンは、僕自身です」。漫画家中沢啓治さん(1939〜2012年)は「わたしの遺書」でそう書き残している。爆心地から約1・3㌔で被爆し、父と姉、弟を失う。漫画家を志して単身上京し、ようやく73年に大手週刊誌で連載にこぎつけた。

  被爆後の広島をたくましく生きる少年の姿を描いた「はだしのゲン」である。だが、石油ショックのあおりで翌74年に減ページから休載に。再開した出版社の倒産もあり、完結をみたのは87年だった。 商業的に「売れない」とされる原爆マンガにもかかわらず全10巻からなる「ゲン」の累計部数は今、1千万部を超えた。

 それだけにとどまらない。「日本の長編マンガで最も早く英訳出版された作品です」と、東京都武蔵野市在住の米国人翻訳家アラン・グリースンさん(63)はいう。 「Barefoot Gen」を78年に海外へ紹介したグループの一人。

 きっかけは、仲間の日本人編集者が米ソの核配備競争が続いていた76年、米大陸を横断する平和行進に「ゲン」を携えたことから。各国からの参加者は絵を見ただけで衝撃を受けた。「知られていない核戦争の現実を世界へ発信しよう」と、日米の若者10人で「プロジェクト・ゲン」を結成。当時出ていた4巻までを翻訳して自費出版し、後にサンフランシスコやフィラデルフィアの出版社からも刊行した。

 さらに、石川県ロシア協会理事の浅妻南海江さん(72)=金沢市=らが同じグループ名を受け継ぎ、95年から全10巻をロシア語訳。全巻英訳も2004年から6年がかりで手がけ、各巻3千部を刊行した。

 「私たちに暗黒の歴史を忘れ去る権利はない」。海外からの感想の手紙を前に、浅妻さんは「『ゲン』は世界の物語だと認識されれば核状況も変えられる」と強調。ロシア語改訂版の刊行にも乗り出した。

  日本の戦争責任に険しい視線を注ぐ韓国でも02 年に全巻出版され、予想を超える各巻1万5千部以上を売り上げる。図書館や学校も収めた。翻訳に務めた在日2世の金松伊さん(68)=大阪府=は「原爆が植民地支配からの解放をもたらしたという認識は根強いが、戦争そのものにあらがう普遍性が受け入れられている」とみる。

 とはいえ、日本との関係が出版に立ちはだかる。

 坂東弘美さん(67)=名古屋市=は、当京の中国国際放送局で働いていた時の同僚らと翻訳に取り組み、昨年に終えた。だが出版許可の見通しが立たず、台湾で目指す。「踏みつけられても前向きに生きる『ゲン』の姿が翻訳チームを突き動かせてもいます」

 「過激な描写が子どもに影響を及ぼす」。国内の小中学校で閲覧制限や回収措置に遭っても、「ゲン」は越境を続ける。あらためて調べると21言語に翻訳されていた。アラビア語訳もエジプト・カイロ大教授が進めている。

  広島市西区出身の漫画家こうの史代さん(46)=東京都=が04年に刊行した「夕風の街 桜の国」も世界へ広がる。

  被爆した女性の10年後と、その家族の暮らしを精緻に描いた連作は文化庁などの各賞を受け、出版元によると40万部を売り上げる。これまで8言語に翻訳され、各版とも1 万部前後が出ているという。

  こうのさんは「読者が自分の友人が暮らす街の物語のように受け止めてもらえたら、という思いで描いた。原爆を体験していない人も伝える務めがある、と今は思うようになりました」と気負いなく語る。

  「ゲン」の越境について、作画のペン入れを手伝った妻ミサヨさん(72)=埼玉県所沢市=は「中沢のありのままの思いが伝わっているのでしょう」 と話す。

  原爆の悲惨さだけでなく人間としての共感を呼ぶ表現が、ヒロシマを世界に押し広げている。

 

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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