加藤登紀子「広島 愛の川」語りバージョン

漫画『はだしのゲン』作者、故・中沢啓治さんが生前唯一遺した詩に託した渾身の想いを加藤登紀子さんが平和への願いを込めて歌い継いだ『広島  愛の川』CD-Rが6月25日から発売されました。

作詞:中沢啓治 作曲:山本加津彦 編曲:島健

CD-Rには加藤登紀子さんがレコーデイングした「広島   愛の川」と「広島   愛の川(語りバージョン)」が収録されています。加藤さんがナレーションを務めた(語りバージョン)を次に紹介します。

 

昭和20年7月16日午前5時30分、人類にとって恐るべき核兵器の時代が始まった。グレープフルーツ大のプルトニウムの玉は普通爆弾2万トンを一度に爆発させただけの大破壊力を持つ。太陽のような火の玉が3,000メートルまで立ちのぼった。100フィートの鉄塔は跡形もなく吹き飛び、予想以上の破壊力に関係者たちは喜んだ。

同じ1945年7月26日、日本の戦争終結についての米英中三国のポツダム宣言が発表された。日本の戦闘中止と無条件降伏を要求し、まだ抵抗を続けるならば日本軍の全滅と国土の破壊を招くことになると警告したのだ。が、日本の戦争指導者たちは最後のひとりまで戦争を続けるとポツダム宣言をはねつけたのだ。

ついにアメリカは原爆投下計画を実行に移す命令を出した。すでに第509混成航空隊という名の原爆部隊が秘密のうちにつくられ、日本の空襲にも参加して、原爆投下の訓練を続けていたのだ。その編隊の一機、機長の母親の名をつけたエノラゲイ号にノッポとあだ名のつけられた原子爆弾が積み込まれ、発進準備が進んでいた。

午前1時35分、3機の気象観測機が第一攻撃目標の広島市をめざして飛び立った。午前2時45分、エノラゲイ号はテニアン原爆基地を飛び立ち、その後2機の観測機が続いた。原爆投下時間、8月6日午前9時15分、日本時間8時15分と決定された。

43秒後、広島上空1,800フィートで何万個の写真のフラッシュを爆発させたような高熱の白い光を発して、原子爆弾は爆発した。爆発の熱線は屋外にいたすべての人の皮膚を溶かし、黒い服を着ていた人は輻射熱で火傷が特にひどかった。

原爆は広島市のまちを破壊しただけではなかった。爆発と一緒に広島市のいたるところに放射能をまきちらしていた。何も知らない健康な人々の体内に食い込んで細胞の破壊を続ける原爆の第2の恐怖、原爆症がもう始まっていた。

ゲンはできることなら世界中の国々にきれいな虹の橋をかけて、そして国境もなく戦争のない平和な世界がつくれたらすばらしいなと、いつまでもいつまでも虹を見つめていた。

 

はだしのゲン・紙芝居

出版物の紹介


はだしのゲン
『わたしの遺言』
 中沢啓治 著

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